2008年10月17日金曜日

betweenな建築


先日、大学に藤本壮介が「Primitive Future」というテーマで講演をしにきた。

いま現在、多くの建築学生が参考にしている勢いのある作家だ。

今回の講演は、未来と本質、巣か洞窟か、CityとHouseの間みたいなことを小テーマにしながら、中間的な建築についての氏の考え方をきく機会であった。



色々と思うことは多々あるが、感じたことは2つ。

「建築家が都市のことを深く考えなくなってきてないか?」

「芸術性を求めるか?、社会性を求めるか?」


前者については、最近薄々感じてたことだが、講演を聞いてその思いが増した。

考えていないというのは、語弊がある。でも都市をみた上で、建築をみるという考え方のプロセスが逆転していないか?という疑問を抱いている。

氏は話の中で、住宅と都市の境界線を曖昧にするような建築を目指しているといった主旨のことを話していたと思うのだが、どうも話や作品から感じるものは、内側(住宅)から外側(都市)を一方通行的に見ているように思えてならなかった。

過去の作家(ル・コルビジェしかり、黒川紀章しかり)は、常に都市のことを考えて作品を作ってきたと思う。でも最近の作家は、都市のことを俯瞰的にみながら建築のことを言及しているように思えない。そんな印象をより強めることになった。


後者は、難しい問題なのだが、氏の作品を見て、話を聞いて受けた印象として、どっち目指してるの?っていうことなのだが。例えば、写真の作品『House N』を見てみる。この住宅は、三層の入れ子構造になっており、厳密に言えば、一番外側はガラスなどが入っていない吹きさらしになっていて、その内側は、ガラスやドアがついていて、内部空間を作り出しているのだが、氏曰く、公的空間(都市)と私的空間(住宅)をグラデーション的に作っているとのこと。敷地境界目一杯に箱を作って、これを都市と私的空間を緩やかに繋いでいるってのは少し無理があるんじゃないかと。

建築家は、芸術性と社会性どっちも求めなきゃいけないんだろうが、こういうのを作るのなら、「かっこいい建築が作りたいだけ」って言ってくれたほうがキモチ良い。(前者の話と多少矛盾するが)



自分は建築学を専門にしてはいるものの、作家とか流行とかに疎いからすごく素人目線だけど、逆に言えば、変な風潮とかはそっちのけで建築を見ていると思う。そういう観点でみると、「売れてるから良い建築だ」と首を縦に振れない。

0 件のコメント: