THAT TIME WAS PRICELESS
人としての器量というのはどういうところから生まれるのか…。
言葉にすると陳腐だが、
「スゴい人」にありがたい言葉をたくさん頂いた。
以前、まちづくりの会議で出会った人で、
「この人はただものではない」
と感じた人がいる。
先日、ふと名刺を取りだして、
自分がめざす人間になるために、
どういう就職活動をしていくべきか?
現段階で自分が考えていることに自信を持って良いのか?
この人に聞いてみたいと直感的に思い、メールしてみた。
すると、メールが返信され、一度しか会った事はないのだが、自分のことを覚えており、会う時間を頂けるとのことだった。
そして昨日、平日の昼にも関わらず会社に呼ばれ、
人生論、社会論、経済論などあらゆるジャンルの話をからめながら自分の相談にのっていただくことができた。
自分がこれまでに考えてきたとのズレは大きくはなく、
その人の言葉によって、自信が持てたような気がした。
また、まだ気づく事ができていなかったことを教えていただいた。
「どこに就職しても良いし、どこに就職しても悪い」
結論はこういうことだった。
つまり、自分の働き方次第だと…。
ただし、人は見えるものでしか評価してくれない。
その見えるものが会社名だったり、資格だったり…。
まずは入口として、自分の武器を持てるところを探せということだった。
そして、己の中に決め事を作り、その基準に従って判断を下す。
そうすることで、自分の立ち位置がわかるようになる。自分の立ち位置がわかると、人の立ち位置がわかる。
その他、働くためだけでなく、生きていくためにありがたいアドバイスを本当にたくさん頂いた。
気がつくと時計の針は180分も進んでいた。
この人の180分はお金に換算するときっととんでもないことになると思われる。(このとき初めて知ったのだが、実は外資コンサルや経営の勉強会でパネリストを勤めるような方だった。本当に学生の勢いでさして何もしらずにメールしてしまったw)
とても恐縮な想いを抱いた。
しかし、この人は帰り際に「ありがとう」と感謝の意を自分に示した。
この人は、己の中の決め事として、「誉められることをする」というものを持っていると言っていた。
つまり、「渡した名刺を見て、相談しにきたこと」=「誉めている」と解釈し、その決め事というのは、対価よりも優先される事柄なのだと言う。
十分なお金を持っているから、決め事の中に「カネ」という基準がないと思うかもしれないが、そうではないと言っていた。決め事に忠実に従ってきた結果として、人から信頼を得、それが仕事になっていき、収入が生まれていったのだと。
あの境地にいたるまでに、自分はまだまだ物欲も強いし、自分の中で決めごとも作れていない。
ただ、世の中に役立つこと、周りにいる人をハッピーにできることを仕事にしたいということだけは、確信できた気がする。
器が小さい自分にあの領域に達する事は非常に難しいが、少しでも近づきたいと思う。



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