2011年3月14日月曜日

大地震が起きて

M9.0の地震が起きたとき、私は展示会の応援のため、東京ビックサイト内の空中通路の動く歩道の上にいた。

カーテンウォールのガラスがギシギシと音をたて、外では木や信号機が激しく揺れていた。この時点で鈍感な私は地震だと思っておらず、空中通路にいるがゆえに強い風で揺れているのだと思っていた。むしろそう思いたかったのかもしれない。

しかしながら、外を注視していると、動いていた車は走行をやめ、また内部にいた人が外へ走って逃げているのが見えた。まもなく動く歩道が終わり、室内の天井から吊られている電光掲示板が大きく揺れているのを確認し、地震であることを確信した。というか、大きな地震が起きたことを現実として受け入れたのだ。

その後も群発地震などが起き、まもなく展示会は中止となったのだが、建物から出るまでは恐怖を感じ続けていた。

ビックサイトから会社までは車でもどったが、電車が動かないため、徒歩で東京駅の方角へ向かう人々の群れが非日常の風景を生み出していた。ラジオからはテレポート付近で火事が起きたり、九段会館で天井が落下してきたなど痛ましいニュースが次から次へと流れてきた。しかし、正直、この時点ではこれほどまでに大きな災害になっているとは思ってもみなかった。

社にもどり、ニュースを映像でみて、初めて最悪の事態が起きていることを思い知らされる。

空港に駐車されていた車が津波に巻き込まれ、鳴門海峡のような渦を描きながら何台もの車が飲み込まれていくのだ。

首都圏においても、交通機関が完全に麻痺し、多くの人が足止めにあった。人によっては、家に帰れずに、地下通路で寝泊まりする人もいた。東京でさえ、こうした状況であり、仙台やその周辺は見るに耐えない惨い状況だったに違いない。


今日は、池袋にいってみたが、まるで何事もなかったような普通の休日にもどっていた。
一方で、テレビから流れてくる映像は、非日常のままで、各地の無惨な光景がループする。

我が社も福島と茨城に工場拠点を持っており、被害を受けていることは間違いない。
(昨日は念のため出社したが、)2日間の休日が終わり、明日から勤務となるが、通常の業務にすんなりもどれるとは思えない。改めて大災害であったことを目の当たりにするだろう。


自分が体験したこと、知人から聞いたこと、各マスコミ等からの情報などから今回の災害で思ったことを、あとでふりかえれるよう以下に書き留めておく。

・緊急時、多くの人はパニックになる。己が冷静でもパニックに巻き込まれればどうしようもない。
・電話よりもtwitterやmixiなどネットでの情報交換が有効(家族にもtwitterのアカウントを持ってもらうべき)
・備えは必要。避難が必要となったときに携帯すべきものは持っておくこと(電池や携帯電話の電池パックなども必須)
・JRは早々に運転見合わせ、多くの人が立ち往生している中、定時にシャッターを閉めた。許せない。
・地下鉄は、早急に安全確認をし、運転を再開するだけでなく、深夜にも運行しており、ありがたかった。
・古い建物に住むのはよそうと思う。高いところに住むのも怖い。
・非常事態に人は優しくなれる。日本も捨てたもんじゃない。

一日も早く、復興できるよう心から祈る。
特に原発から多量の放射能が漏れないことを切に願う。
また、こういうときにこそ、日本の良さが発揮されるときだと思う。
協調して、粘り強く前向きに歩んでいくことができる民族だと信じているので、必ず立ち上がれるはず。
みんながんばろう。