なぜ小説を読むのか?
先日ドン君に言われたことが気になっていた。
「小説は何のために読むの?」
確かそのときは、
「娯楽じゃない?漫画を読むのとだいたい一緒だろ。」
的なことを言って答えたと思う。
本当にそうだろうか?
そんな単純なことだろうか?
心にひっかかった。
私は小説を読み始めたのが遅い。
確か高校一年のときに、周りの友人を見ながら、自分が全く読書をしてないことに危機感を覚えたのがきっかけだった。その後、図書室に行って、司書さんにオススメの本を聞いて、村上春樹やら宮部みゆきやらの小説を読むようになった。
ここ一年は、なぜか東野圭吾ばかり読んでいて、つい最近は、伊坂幸太郎ばっかりになって、今はまた村上春樹にもどって、「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいる。
決して本が好きな人ほど年中読書ばかりしているわけじゃないが、月に最低でも1冊くらいは小説を読んでいると思われる。(ペースにかなり波があるが)
じゃあなんで小説を読んでいるのか?
ドン君の言い分はたぶんこうだ。
実用書は役に立つけど、小説はフィクション故に役に立つことはあまりない。
「全くもって正論だ。」
と言いたいところだが、よくよく考えてみると、そうとは限らないから小説を読むのかもしれない。
確かに、実用書には実体験から得られた貴重な知見やすぐにでも役立つ有用な情報が記されているし、タイトルや概要から得たい情報をほぼ期待通りに得ることができる。
一方で、小説は実体験でもなければ、タイトルや概要からだけでは察することができない情報が記されており、具体的な何かを求めて読んだとしてもその期待を裏切られる可能性は高いだろう。
しかし、「何も得られない」というわけではない。
じゃあ何が得られるのか?
自分は、フィクションの中に出てくる登場人物の物語(おおげさに言えば人生)を擬似的に体験することで、自分自身がおそらく体験することがないであろう、または今までに体験したことのない(これから体験するかもしれない)経験を積み、そこから「何かしら」を学べるかもしれないと考えている。
その「何かしら」は、作者からのメッセージであることが多いが、作品によってはかなり巧妙に隠されているので、読めば必ず得られるかというとそういうものでもない。
思考力と想像力を働かせて、物語が言わんとしていることに耳(目?)を傾ける作業が必要である。また、その作業によっては作者の意図とは全く異なることが自分の中で得られることもある。
そこにこそ、小説を読むおもしろさがあるのだと思われる。
何が得られるかわからない。物語次第。自分次第。開けてびっくり玉手箱。
自分が小説を読む理由は、その物語に潜む「何かしら」を得るためである。そこで得た「何かしら」は、すぐに役立つものではないかもしれないが、個人の考え方に少なくとも影響することはあるし、それが行動に現れることもあり、後々に影響を及ぼすことはあるはず。
役に立つか役に立たないかという意味では、実用書と同じで、役に立つといえるのではないかと思っている。
単純に、何が起きるかわからない物語そのものに趣を感じて読んでいることが多勢を占めるというのが本音であり、そういう意味でははじめに答えた「娯楽」として捉えている側面は否めない。
一方で、「自分の糧にしたい」と思う気持ちも少なからずある。
それが私が小説を読む理由だ。
でも社会人になったら、たぶん実用書を読むことが多くなるかもね(笑)


